『正直』という本を松浦弥太郎さんが書いています。その中に「素直」という題の文章がありました。
「素直」
なにごとにも知らんぷりする無関心な人がいる。
見るもの聞くものに、「わあ、すごい!」と感動する素直さなんて、子どもにすらないという話も聞く。
でも、すべてに無関心だろうか?そんなことはない。自分の物語については無関心どころかものすごく関心がある人が多いのではないかと僕は感じる。
自分の物語は特別で、すてきで、興味深くて、ひとりじめにするのはもったいない。だからツイッターやフェイスブックで、さかんにライフスタイルを発表しているのだろう。
SNSとは「社会的なつながりのしくみ」という意味だけれど、利用者の誰もが社会的かと言えば疑わしい。自分の物語を通して人とつながることは大好きだけれど、人の物語にはさっぱり興味がない。そんな人も多いのではないだろうか。
すべて自分が発信しないと気がすまないという人が集まり、お互いに発信だけをしていたら、いったい誰が受信するのだろう。
自分の物語の登場人物は、ごはんを食べた友人、イベントを楽しむ恋人、誕生日を祝ってくれる仲間と、一見すれば多彩だ。だが、素直さをなくし、自分以外に無関心でいると、いつしか登場人物は、ただの舞台装置、ただの小道具になってしまう。自分中心で自分しか登場しない自分物語を夢中で紡ぎ、自分で読みふけり、それだけでは足りなくて、「誰か読んで!」と発信する。
それは、退屈でさびしい物語になってはいないだろうか。
以下略。
このあと、読書をしない人が増えている、それは悲しいことだ。送信ばかりではなく、受信しようよ、と話が続きます。
最初は、これを読んで「そんなものかなあ」と思いましたが、むくむくと違和感がたちこめて。
松浦弥太郎さん。この人はスマートでかっこいい。仕事をきっちりやって、結果を残してこられた人なのだと思います。松浦さんの本も読ませてもらっていますし、そのクールなスタイルはとても参考になります。
でもね、この文章の題が「素直」ってどうしてだろう。また、「送信するためには受信しなければならない」このことを松浦さん自身がよくわかっているはずなのに、どうしてこういう言い方するのだろう。
SNSの普及と読書量の少なさ、この二つの反比例する数字から「送信ばかりで受信してない」となったのでしょう。でも、それは違います。読書だけが受信の方法ではありません。ネットで新聞もニュースも読めます。
また、SNSで多くの人が発信する理由は人それぞれです。「自分物語をひたすら書き連ねている」とお思いでしょうが、自分のつらい日々を記し、共感してもらって心を落ち着けている方もいます。それを、松浦さん、あなたのように大勢の人に注目され肯定されている方にも理解して頂きたい、そう思います。