不倫の境界線についてまじめに考えてみた
「どこまで許せるか」という話です。
「気持ちがあるかどうか」は不倫の境界線か?
「気持ちがあるかどうか」が不倫の境界線だと言う方います。言い換えると「本気か、体だけか」ということです。「体だけなら許す」と言う方、よくいますよね。でも、本当にそうですか?
たとえば、ご主人が休みの日の朝、
「おれ、今から風俗行ってくる。夕方には帰ってくる。飯はよろしく!」
と言って出かけたらどう思いますか?ご主人、風俗嬢に惚れてるわけではありません。体だけのつきあいです。気持ちは全くありません。OKですか?
「はい、一週間お仕事お疲れ様でした。すっきりしてきて!ご飯はあなたの好きな生姜焼きにするね!」
とは言えないでしょう。「手をつなぎに行ってくる」もだめだと思います。
「行動したかどうか」は不倫の境界線か?
では、「本気だけど何もしない」というのはどうですか?パートナーがいながら別の人を胸に宿すという話、よく聞きますよね。「好きになっても、我慢してくれたらいい」と言う方も確かにいます。本当にそうですか?
例えば、奥さんに、
「わたし、同じ職場の〇〇さんのことが好きになっちゃったの。本気なの。でも、子どももいるし、家のローンもあるし、別れたら経済的にも大変そうだから我慢します」
と言われたらどうしますか。触れてもないし、食事にも行ってません。ただ、本気です。やっぱりOKではないですよね。
「そうか、すまないな。俺で我慢してくれてありがとう」
とは言えません。「気持ち」だけでもアウト、「行動」だけでもアウト。うーん。
不倫の「真の境界線」
不倫の「真の境界線」は「ばれたかどうか」だと思います。先に上げた極端な2つの例、ふつうはこんなことありません。なぜなら、「風俗に行く」だの「好きな人ができた」だの、そんなことを正直に言う人はいないからです。
以前、こんな記事を書きました。
読んでいただく方が早いのですが、簡単に説明します。
朝日新聞を見て驚いた、という話です。見出しには、
「生きていくにはときめきが欠かせません。読者の素敵なときめき体験を紹介します」
とあり、
「同窓会で何十年ぶりに会った異性に声をかけられ、胸キュンしました。定期的に二人で食事に行ってます。肌にツヤが出てきました。でも、食事以上の関係は望んでいません。パートナーには内緒です」
という読者の体験談をあげ、
「みなさんときめいてますか」
とまとめています。
この新聞記事で何をそんなに驚いたのかというと、「二人きりで秘密の食事」をすてきなときめき体験として全国紙が好意的に取り上げていたからです。「秘密の食事」を全国紙が好意的に受け止めているということは、一般的な不倫の境界線は、「秘密の食事」ではないと言えるのではないかと。
先の新聞にあげた方は、二人だけの食事を家族に内緒にしています。「うしろめたくなければ話せばいいじゃないか」なんてナンセンス。なんでも話せばいいってものではありません。ただ、ばれたらアウトです。
ことにおよぶなら、誰にも観られずこっそりとおよぶ必要があります。職場でことにおよぶなんて理性ある人間のすることではありません。相手に内緒な境界線なんて考えても無駄です。
もし、不倫がばれたら
ある女性タレントが、不倫報道があった男性タレントの歯切れの悪いコメントに「やってる(失礼!肉体関係のことです)くせにやってないなんて言うな!」と言っていましたが、わたしはそうは思いません。どこまでも嘘を突き通すのが筋ってものです。
細木数子さん(この方をご存じない方は、40歳以上の人に聞いて下さい)が、かつてこんなことを言ってました。
「ほんとのことだから言えばいい、だの、ほんとのことを洗いざらいしゃべって許してもらえだの、そんなのはガキの寝言にすぎない。たとえ、ホテルの部屋で素っ裸で抱き合っていたところを踏み込まれてたとしても、嘘を突き通せ。『彼女が急におなかをおさえて動けなくなったんだ、だから、今マッサージをしているんだ』くらい言え。ばかげた嘘だと思われようが、この嘘を突き通す、というのが相手への最後の礼儀だ」
と。嘘を突き通す。極端ですが、わたしは細木さんの言っていることが正論だと思います。
ゲスな考えですみません。世の多くの人の共感は得られると思うのですが‥。でも、こんなわかりきったことも、言わない方がいいですね。読んでいてあまりいい気がしません。
もちろん、いい大人なので「いつまでもちゃらちゃらしてられない」という意識はもたないといけません。「誰でもいつでもさあこい」という姿勢、息をするかのように恋してるアホな家庭持ちいますが、そういうのは論外です。
不倫と離婚
気持ちが離れるのは仕方なしです。そして、そういうときに降ってくるんですよ。みんなそう、みんな。問題はその後どうするかです。気持ちをもどすか、家庭内別居をつらぬくか、本当に別居するか、離婚するか。「気持ちがなくなりました、別の人を好きになりました、さようなら」これでは、何度も離婚を繰り返すことになります。離婚を考えるのは、別の人を胸に宿した時ではなく、相手のことが心底いやになった時でしょう。