吉村昭の『光る壁画』を読みました。世界初の胃カメラを開発した日本人の物語です。この物語の主人公、曾根菊男さんの単身赴任生活の苦悩がとてもおもしろい。
昭和25年頃の話です。菊男さん(28)は胃カメラ開発の研究員として渋谷で働いています。妻の京子さん(25)は、菊男の実家の芦ノ湖近くの旅館で慣れない新米女将としてがんばっています。
「小田原に家があるのに」と書きましたが、正確には、小田原ではなく「元箱根」(小田原で箱根登山鉄道に乗り換え小涌谷でおりてそこからバスに乗り10分ほど)です。すみません。ここは、知名度の高い小田原ということでいいですか?わたしの住む町です。
小田原から渋谷、決して通えない距離ではありません(当時でも十分通える距離だったようです)。当初は、土曜日の仕事終わりに小田原に帰っていたのですが、仕事が好き、帰るのもめんどくさい、ということで、1ヵ月帰らない日が続きました。
帰ってこない菊男さんに、京子さんもいらいらし始めます。
突然会いに来るんです。
乗客たちと改札口を通り抜けたかれは、不意に足をとめた。駅の出口の壁ぎわに一人の女が立っている。眼を疑った。洋装した京子であった。かれは、呆気にとられて歩み寄った。前ぶれもなく京子が東京に来てそのような所に立っているのが理解できなかった。手にハンドバックを持ち、足もとにはボストンバックが置かれている。
「どうしたんだ。なにか変わったことでも起ったのか?」と聞いても返事がない。おい、どうした。
黙って佇む京子さんを見て、菊男さんはこう思います。
京子は、菊男が毎週とは言わずとも、月に2、3度は帰ってくると期待したはずであった。が、結果は逆で、4ヵ月の間に2度帰ったに過ぎない。そのことに京子は苛立ち、上京してきたにちがいなかった。
なるほどねえ。吉村昭のねちっこい描写が光ります。ここで一つ疑問が。どうして京子さんは菊男さんの家で待たずに駅の改札で待っていたのでしょうか?。みなさん、わかりますか?京子さんに聞きましょう。
「こわいのよ。あなたが間借りしている家の近くまで行ったけど、道をもどってここで待っていたの」
「なぜ」
「お部屋には、あなた1人なの?」
「1人さ、当たり前じゃないか」
「だって、めったに箱根へは帰ってこないし、手紙を出しても、2通か3通に一度葉書がくるだけですもの。その葉書もぶっきらぼうで…」
というわけです。正解は、「部屋に誰かいると思ったから」でした。
菊男さん、これで反省するでなし、このあとますます帰らなくなります。3ヵ月ぶりに大晦日に帰ると京子さんが荒れています。
「よく帰れましたね。お正月も仕事かと思ってました。」
「いつ東京にお帰りですか?」
「5日が仕事始めだから、4日の夕方には帰る」
「そんなに休んでもいいんですか?」
「世界初の胃カメラ開発の陰には支えてくれる妻の存在があった」という話にしても本筋は何の問題もありません。というより、そちらの方がしっくりきます。でも、そう書かない。吉村昭はきっちり取材する方ですから、京子さんはそういう人だったのでしょう。でも、出版するとき、京子さん怒らなかったんですかね。
さらに帰らないこと3ヵ月。アパートの部屋のドアを開けると封筒が差し込まれていました。京子さんからのものです。引用します。
謹啓
長らくご無沙汰をいたしておりますが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。
さて、私は、本日かぎり貴方様の妻であるという考えを、きっぱりと捨てることにいたしました。近くにおられながら、帰ることをなされぬ貴方様を夫と考えますのが、大きなあやまりであることに気づいたのでございます。今まではあれこれと苦しんで悩んで参りましたが、これで気持ちの整理もつき、気も晴ればれとしています。
中略
あらためて申し上げます。私のことを気にかけて帰るようなことは、一切なさらないで下さい。お帰りにならなくても、少しも気にかけません。どうぞお体を大切にお過ごし下さい。
京子
菊男さん、遊んでるわけではなく、それどころか仕事に打ち込んでいるのです。胃カメラの研究では(そちらがこの本のテーマです)
「水をたくさん飲ませた方が胃カメラの映りがよいと思ったのに、胃の中で消化されずに残った米粒のかけらが水に浮かんで困る」
とか、
「胃カメラが胃壁にくっついてちっとも胃壁が映せないので、カメラと胃壁の間に空間をつくるにはどうしたらいいか考え(胃カメラに三脚をつけようとしたことも)、先端部分にコンドームをかぶせて膨らませる(透明なコンドームを求めて近郊の薬局を片っ端から回る)」
とか、こういった難問に日々頭を悩ませています。胃カメラは完成目前、どうする菊男!
菊男さんの自省描写がとてもおもしろいのです。今の男性とほとんど変わらない。
今、すぐにでも箱根へ帰ろうか、と思った。一刻も早く京子の気持ちをやわらげねば、取り返しがつかぬことになるにちがいない、とも思った。
自分には、胃内写真機の研究という仕事があるが、そのようなことも弁解にならない。仕事は残業つづきだが、日曜日は休む。土曜日の夕方に箱根へ帰れば、京子と日曜日をすごすことができる。忙しいとは言っても時間の余裕を見出せぬわけではなく、正月以来3ヵ月半も帰ろうとしない自分に、京子が愛想をつかしたのも無理はなかった。
ふむふむ。帰ろうと思えば帰れるのに帰らなかった…。じゃあ、帰るのか?
しかし、明日は、ゴムサックを管の先端にはめて実験をおこなう。重要な実験だけに、自分が加わらぬわけにはいかなかった。京子を失いたくはなかった。それには、すぐにでも箱根に帰らねばならぬが、明日実験が終わった後でなければ、無理だった。
明日は重要なコンドーム実験。こんなこと京子さんに言えない(涙)。まだ続く、菊男の悶々。
離婚を決意した女は、その瞬間からそれまで好ましいと思っていた夫の一挙一動を全く逆のものとして感じるようになる、という話をきいたことがある。夫の声も、あくびも、不快きわまりないものになる。歩き方、食事の箸の持ち方、寝顔など、肌が粟立つほどいまわしいものに思え、身近にいるのさえ堪えがたいという。夫婦は基本的に他人であり、愛情があることによって同じ家に住み、肉体を接することもできる。ひとたび愛情が失われれば、再び結びつくことはなく、遠く離れてしまうものなのだろう。
そうだぞ、菊男、嫌いになったらとことん嫌いになるぞ。読んで頷きながらも思ったことが。吉村昭さん、この描写いるかね?菊男さんにもちろん取材してるだろうけど、こんなこと言ったのかなあ。「菊男さん、そのときどう思いましたか?」「離婚を決意した女は~って言うでしょ、吉村さん」って、こんなやりとりあったと思えないんです。
結局、菊男さんは翌日のコンドーム実験の後、小田急線に乗って箱根に帰ります。京子さんも喜んで夫婦の危機も無事乗り越えました。
そうそう、胃カメラも無事に開発できましたよ。