読書生活 

本もときどき読みます

夏の表現 小説で使われている夏の表現を拾ってみました。

夏の表現や言い回しを小説から集めました。随時更新しています。  

浅田次郎   

夏草が生い茂るままに立ち枯れるほどの暑さが続いていた。借家を囲む梨畑に油蝉がうとましい。克平の怠情をののしる嘲るように夜明けとともに鳴き始め、日が暮れてからも地熱の冷めぬうちは夜半まで泣き続ける。汗と蝉しぐれとでべっとりと湿った体を起こし、克平は顔を顰めて温い茶碗酒を呷った。

油蝉が嗤う。日ざかりの縁側に膝を乗り出して、克平は荒れた庭を眺めた。朽ちた縁側に身を晒して、克平はちぢかまった。狂おしい太陽が禿げ上がった頭頂を灼く。

その晩、村山克平は金輪際の酒を飲んだ。夜半の満月は真夏には珍しいほどの明るさで、畑の上を金色に照らしていた。蝉の声が已むと、あたりは壺の底のように静まり返った。終電の轍の響きが夜半をめぐって消えた。『情夜』

夏雲が湧いて陽を遮り、斑な道は灰色に変わった。『終わらざる夏 上』

油蝉の声がむしろ静寂を際立たせる学び舎を見渡して、久子は立ち上がった。『終わらざる夏 上』

安倍公房

あたりを見まわしながら、上衣の袖で汗をぬぐった。『砂の女』

太陽の光があまりにも激しすぎた。男は激しく身をすくめ、光の棘から身をふりほどく仕種で、素早く首を下げ、シャツの襟をつかんで、力任せにひきむしった。『砂の女』

有吉佐和子

枳殻(からたち)の牆(かき)の前で、民は振返って得意そうに小鼻をひらいてみせたが、加恵は頷くことも忘れて、庭に打水している於継の美しさに見惚れていた。『華岡青州の妻』

話をきかせてくれた乳母の民に早速ねだって隣村の平山へ出かけたのは夏で、めざす家の前庭には雑草が生い繁り、気違い茄子の白い花々が暑苦しい緑の中で、妙に冴え冴えと浮かんで見えた。『華岡青州の妻』

上橋菜穂子

夏の川原の、白く乾いた石の向こう、木立の狭間に木洩れ陽が踊っている。樺の木の眩しいほどに白い幹と、風にちらちらとさざめきたつ繊細な緑。『鹿の王』

小川洋子

不意に木立がざわめき、見る見るあたりが暗くなった。さっきまで遠くの稜線にわずかに残っていた夕焼けが、暗がりに飲み込まれていた。どこかで雷鳴が響いた。たちまち雨が降り出した。一粒一粒、形が目で確かめられるほどに大粒の雨だった。屋根を叩く音が部屋中に響いた。カーテンがなびくたび雨が吹き込み、二人の素足にかかった。もうどこにも太陽の気配さえなく、消し忘れた流し台の明かりだけがぼんやり中庭を照らしていた。『博士の愛した数式』

ルートが学校から持ち帰った鉢植の朝顔は、花弁を閉じ、既に眠りにつく準備を整えている。『博士の愛した数式』

昼間、太陽を浴びた木々の葉が体温を発散しているからだろうか、開け放した窓から入ってくるのは風ではなく、熱気ばかりだ。『博士の愛した数式』

日が傾きだしても、暑さが和らぐ気配はない。『博士の愛した数式』 

真夏の日差しが照りつけ、めまいがしそうなほど暑かった。『博士の愛した数式』

空にはひとかけらの雲も見えず、緑はまぶしく、地面には木漏れ日が揺れている。『博士の愛した数式

日が暮れてしまうには間があるはずだったが、いつの間にか雲が厚みを増し、中庭は夕闇と西日が入り混じって、薄紫色のセロファンに包まれたようだった。『博士の愛した数式』

中庭で一番高い青桐の幹の葉陰には、幾匹もの蝉が羽を休めているのが見える。『博士の愛した数式』

角田光代

やがて、縁日の明かりが見えてくる。ぶらさがった提灯の明かりと混じり合い、あちこちで橙色の明かりがはじめている。浴衣に赤い兵児帯を締めた、薫と同い年くらいの女の子が、祖母らしき人に連れられて屋台のお面を選んでいる。『八日目の蝉』

薫の手を引いてバス停まで歩く。陽が照りつけている。蝉の声が降りしきるように響く。あとはなんにも音がしない。『八日目の蝉』

夏だ。唐突に思う。蝉。海。陽射し。陽に焼けた若い人たち。生い茂る木々。力に満ちた光景だった。ああ、夏だ、夏だ。いく場所もないし、未来なんかないに等しいのに、目に映る光景は、ともすると縮こまりいじけそうな私の気分を、ゆっくりとほぐし、解き放っていくように思えた。目に映る何もかもがきらきらと光り輝いている。私のわきを、親子連れが通り過ぎていく。ちいさな男の子は海水パンツをはき、浮き輪をおなかにかけている。水玉の帽子をかぶった母親はけだるそうに歩き、肩からカメラを掲げた父親が海の彼方を指さしている。『八日目の蝉』

「赤いお花、きれいやなあ」薫の言葉で、少し気持ちが軽くなる。カナカナと蝉の声がする。声をひそめて鳴いているように聞こえる。『八日目の蝉』

大声で笑いだしたいのを我慢して梨花は歩いた。肌にまとわりつくような夜気すら、心地よかった。『紙の月』

会社をでた梨花を、ねっとりとした夜気が包み込んだ。『紙の月』

川端康成

「明るいところでは少し話しにくいの」

「それでは白い満月の薄明りで聞くかな」

私の声に誘われて、八重子もお夏も夕空を仰いだ。

「まあね!ほんとに白い満月ね。」

と八重子が言った。

 この時、瞼が病的な線を描いているお夏の眼が不思議に清らかに光っていた。山深い夏の空の白い満月が黒い瞳の上につつましく姿を重ねていた。『白い満月』

庭は石楠花の花盛りである。つつじの大きい造花のようなこの花は、余りに派手すぎるのに匂いがないためか、見ていると空虚な感じがして私の気にいらない。谷川の向う岸の蕨はすっかり伸びてしまって若葉を拡げている。杉林はもう午後らしくほの黒い落ち着きの中に黙りこくっている。『白い満月』

北原白秋

夏の祭は紅い金魚の尾鰭のやうに華やかで、また青い乾草のやうに日向くさい、何かしら胸さはぎのするものです。その遠くで昼の花火があがるのです、黄色い煙の花火が。夕方になると田舎では田圃の水にかへろが啼いて、蛍がほうほうと、堆肥のかげから飛んで出ます。すずしい白の蓮も、唐黍畑の向うからいいかをりを湿らして来ます。町の方でも大きな桃色のお月さまの下でわつしよい/\とやつてゐます。『祭の笛』

北村薫

息苦しいような熱気の中で、私は目をしばたたいた。滲み出る汗で額に髪が張り付く。『夜の蝉』

窓は網戸にしてあった。しかし、風は死に、暑さは夜になっても衰えていなかった。『六月の花嫁』

その時ブンという音がして、開いていた窓から何かが、矢のような勢いで侵入してきた。それは襖や障子、額縁から蛍光灯にまで狂ったような線を描いてぶつかりながら飛び回った。輝く光の輪に当たった時には蛍光灯は揺れ、薄墨色の埃や古い蜘蛛の巣の糸が、私の上に怪しいほどゆっくりと舞い降りてきた。恐慌状態に陥った私は、タオルケットで身を覆いながら、座ったまま後ずさりして逃げた。襖のところまで来たとき、それはちょうど私の顔の横にドンとぶつかった。私は声を上げ、身を固くした。それは、もう一回飛んで柱にとまり、それから凄まじい声で鳴き出した。大きな油蝉だった。異様だった。『夜の蝉』

佐藤多佳子

八月の午後、橋の下の日陰とはいえメチャ暑い。

ハーフパンツも、もう汗でびしょびしょだ。熱い風が吹き付けてくる。草が焼けるような匂いがする。頭がじんじんするほど蝉が鳴いている。『一瞬の風になれ 2』

頭がじんじんするほど蝉が鳴いている。『一瞬の風になれ 2』

司馬遼太郎

軍を前進せしめるようななまやさしい風ではなかった。地を這わなければ吹きとばされそうになるほどの風速で、しかも滝のように降ってくる雨のために視界はほとんどなかった。『国盗り物語 第三巻』

光秀は、真夏の山風に袂をふくらませつつ越前一乗谷に向かって歩いた。『国盗り物語 3』

暑い季節で、汗が下着から帷子まで、ぐっしょりと濡らし、それがしぼるばかりになったが、光秀は、かまわずに歩いた。『国盗り物語 三』

肩に革製の小さな文庫をかついでいる。その革に背の汗がしみとおるほど暑い。『峠 上』

富士の嶺雪が、蒼天にきらめいていた。『峠 上』

富士はふしぎな色をしていた。峰の雪が夕方の光をあびて真っ赤に染まっているくせに、すそは風にも堪えぬほどに軽い藍色の紗を引いているようであった。『竜馬がゆく 一』

南山城の野には、竹藪が多い。すでに竹は葉を新しくし、めざめるばかりの青さで、野面のところどころに群がっていた。『国盗り物語 三』

帰郷する家康の一行が三河路に入ると、初夏の陽射しがいよいよ強く、笠を焼くようである。駿河とは違い、三河にある太陽には匂いがあるかと思った。海辺の生臭さもそうであろう、奥路へ入ると草いきれがつよく、特有の生臭さが光線に匂い出ている。『覇王の家 上巻』

継之助が箱根の嶮をこえた日は、空がまっさおに蒼かった。『峠 上』

峠の頂上は、椚林になっており、青葉に午後の陽が映えて、歩いてゆく源蔵の肌があおあおと染まるようであった。『関ケ原 上』

城の背後に、眼に痛いほどの白い雲がわき上がっているのが、絵よりも美しかった。『竜馬がゆく 一』 

右手に遠州灘の紺碧が広がっている。左手には、三河、遠江、駿河の山々が、天のすそを濃淡の青で染めわけて重なっていた。『竜馬がゆく 一』

城山三郎

初夏、はじらいをふくんだアカシヤや合歓(ねむ)の花が咲く。強い日差しに負けず、そこここの大樹が青々とそびえて大きな陰をつくる。『落日燃ゆ』

太宰治

ことし、はじめて、キウリを食べる。キウリの青さから、夏が来る。『女生徒』

星が降るようだ。ああ、もう夏が近い。蛙があちこちで鳴いている。麦がざわざわいっている。何回、振り仰いでみても、星が沢山光っている。『女生徒』

お部屋へ戻って、机の前に坐って頬杖をつきながら、机の上の百合の花を眺める。いいにおいがする。百合のにおいをかいでいると、こうしてひとりで退屈していても、決してきたない気持ちが起きない。この百合はきのうの夕方、駅のほうまで散歩していって、そのかえりに花屋さんから一本買ってきたのだけれど、それからは、この私の部屋は、まるっきり違った部屋みたいにすがすがしく、襖をするするとあけると、もう百合のにおいが、すっと感じられて、どんなに助かるかわからない。『女生徒』

野も山も新緑で、はだかになってしまいたいほど温かく、私には、新緑がまぶしく、眼にちかちか痛い。『女生徒』

「夏の花が好きな人は夏に死ぬっていうけれども、本当かしら」今日もお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんなことをおっしゃった。私は黙ってナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。「斜陽」

ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅い睡蓮の花が咲いているのが見えました。『人間失格』

私はお母さまの後について行って、藤棚の下のベンチに並んで腰を下ろした。藤の花はもう終わって、柔らかな午後の日差しが、その葉を通して私たちの膝の上に落ち、私たちの膝を緑色に染めた。『斜陽』

谷崎潤一郎

まだ日の長い暑い時分のことだったので、すっかり障子を明け放してある西側の窓から、夕日がぎらぎらとさし込んでいる。そのほの紅い光を背に浴びながら、白いジョオゼットの上衣を着て、紺のサージのスカアトを穿いて、部屋と部屋との間仕切りの処に立っているのが、云うまでもなくシュレスムスカヤ夫人でした。『痴人の愛』

中田永一

夏の日差しが諫早文化会館の白い壁をかがやかせている。『くちびるに歌を』

6時過ぎだというのに、日は長く、空はまだ淡い藍色だ。『くちびるに歌を』

梨木香歩 

昼過ぎに なって、急に外が暗くなったと思ったら、ボツボツザーザーとあっという間に雨が降り始めた。のみならず雷さえ鳴り始めた。それも遠くの空でごろごろいっているうちはよかったのだが、強烈な閃光が走ったと思ったら、バキバキバキっ鼓膜をつんざくような暴力的な音がした。さてはサルスベリに、と慌てて縁側に走ったが、サルスベリは無事であった。雷はまだごろごろいっていたが少し遠ざかったようだった。

にわかには信じられぬことだが、雨が降り出した。辺りの草の葉、灌木の葉叢の上に、ポツポツではなく、パンパンと弾けんばかりの大きな音がして、思わず空を見上げると、測ったように目の中へ一滴、雨粒が飛び込んできた。反射的に目を閉じ目蓋を押さえ、余計な水分を取り去ろうとする。再び目を開けると、そこはもう、先ほどまでとは打って変わった別世界、空は一転かき曇り、という事態である。肩打つ雨を避けんとして、大急ぎで近くの木の下へ走る。『冬虫夏草』

夏草が生い茂るままに立ち枯れるほどの暑さが続いていた。『家守綺譚』

借家を囲む梨畑の油蝉が疎ましい。主人の怠情を嘲笑うように夜明けとともに鳴き始め、陽が暮れてからも地熱の冷めぬうちは夜半まで鳴き続ける。『家守綺譚』

盛夏の頃であったので、なけなしの財布をはたいてスイカを買い、それをぶら下げて、ミンミンゼミが降るように鳴く緑陰の道を通り、挨拶に行った。『家守綺譚』

中庭で一番高い青桐の幹の葉陰には、幾匹もの蝉が羽を休めているのが見える。『家守綺譚』

夏目漱石

躑躅が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「これは霧島でしょう」と云った。『こころ』

枳殻(からたち)の垣が黒ずんだ枝の上に、萌えるような芽を吹いていたり、柘榴(ざくろ)の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。『こころ』

私は私を若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝につけているものは一つもなかった。細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。『こころ』

私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。『こころ』

先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。『こころ』

代助は両手を額に当てて、高い空をおもしろそうに切って回る燕の運動を縁側から眺めていた。『それから』

我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総の其所一里に騙されながら、うんうん歩きました。そうして暑くなると、海に入って行こうと云って、何処でも構わず潮へ漬かりました。その後を又強い日で照りつけられるのですから、身体が倦怠くてぐだぐだになりました。『こころ』

私はその時また蝉の声を聞いた。その声はこの間聞いたのと違って、つくつく法師の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え着くような蝉の声の中に凝と座っていると、変に悲しい心持になることがしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈しい音と共に、心の底に沁み込むように感ぜられた。私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情緒を変えてきた。油蝉の声がつくつく法師の声に変わる如くに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。『こころ』

もっともその日はたいへんないい天気で、広い芝生の上にフロックで立っていると、もう夏がきたという感じが、肩から背中へかけていちじるしく起こったくらい、空が真っ青に透き通っていた。『それから』

百田尚樹

七月に入ったばかりだというのに、日差しはきつく、虫の声がやかましかった。『永遠の0』

空にはひとかけらの雲も見えず、緑はまぶしく、地面には木漏れ日が揺れている。『永遠の0』

太陽は頭の真上にある。雲一つない。『永遠の0』

藤沢周平

炎天の中を長い間休みなく馬を走らせて来て、全身汗にまみれている。松の枝が日射しをさえぎり、わずかに風が通り抜けてはいたが、草の上にあぐらをかいて坐ると汗が首をしたたり落ちた。『『密謀(下)』

灌木の間には羊歯が生い茂り、地面は厚い苔で覆われている。杉の梢から薄日の光が洩れて、二人が歩いて行く小径を照らし、顔の前を不意に小さな蝶が横切ったりした。『密謀(上)』

日は遠い丘の頂きに接近していて、日射しは赤味を帯び、丘の上に涼しい夕風が通り始めている。『密謀(下)』

松の影が草原を這って、長く東にのび、草の上の武将たちはいるの間にか、射して来る日の光のただ中にいたが、草いきれをともなう暑さはおさまっていた。『密謀(下)』

三浦綾子

真っ白い入道雲が南の空に高く見えた。『塩狩峠』

三浦しおん

だが、雷鳴と雨足はどんどん激しくなった。稲光が夜空の低いところを横に切り裂く。大きな雨粒にひっきりなしに打たれ、皮膚が痛くなってきた。滝のような雨音以外はなにも聞こえず、地面に叩きつけられる水しぶきで、あたりは白く煙って見える。山の天気は変わりやすいものだが、ここまでの豪雨に遭うのははじめてだった。『風が強く吹いている』

三島由紀夫

B寮はいちばん外れの寮で、殊に二階の魔王の部屋からは、学校の地所のゆるやかな匂配をおおうている五月の森の輝きが見渡された。風にそよぐ枝々や葉叢(はむら)の動きは、まるで酩酊しているようにみえた。『殉教』

折から満開の躑躅(つつじ)に囲まれていた。白がある。洋紅がある。絞り模様がある。物音のたえた石畳には躑躅の低い硬質の影が映り、蜂の羽音だけが、眠っている午後の時の寝息のように聞こえている。『翼』

窓の前の青桐の葉が下から光を受けて、影が重複して、広い葉叢(はむら)がいよいよ柔らかく見える。『真夏の死』

夏はたけなわである。沿道の家の裏手に、向日葵が獅子のように鬣(たてがみ)を奮い立たせている。自動車の埃が、向日葵のあからさまな花の面にかかる。『真夏の死』

木洩れ日は何もない芝生の上に斑を描き、それがふと目の加減で、安枝の緑色の水着の起伏の上に斑点を落としているように見える。『真夏の死』

夏の熱海は季節外れだった。団体客もないではないが、熱海市全体が夏の烈しい日の下に、うつらうつらと午睡をしているように見えた。そして冬や春秋の日ざしの中では情緒的に見える土産物店の列なりも、ギラギラした夏の日に照らされると、埃っぽく安っぽく見えた。『永すぎた春』

烈しい太陽光線にはほとんど憤怒があった。『真夏の死』

庭には、午前の太陽がきびしく照りわたり、蝉がこもった鳴き声を立てていた。『女神』

常子がこんな幻想に浸っているうちに、車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹き付ける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木洩れ日が熱い雪のように霏霏(ひひ)と落ちている参道の石段を下り始めた。『三熊野詣』

積乱雲が夥しく湧いて、そのいかめしい静けさは限りなく、あたりのざわめきも波の響きも、雲の輝く荘厳な沈黙の中に吸い取られてしまうように思われる。『真夏の死』

沖には今日も夥しい夏雲がある。雲は雲の上に累積している。これほどの重い光に満ちた荘厳な質量が、空中に浮かんでいるのが異様に思われる。その上部の青い空には、箒で掃いたあとのような軽やかな雲が闊達に延び、水平線上にわだかまっているこの鬱積した雲を見下ろしている。下部の積雲は何物かに耐えている。光と影の過剰を形態で覆い、いわば暗い不定形な情欲を明るい音楽の建築的な意志でもって引き締めているように思われる。『真夏の死』

物音のたえた石畳には躑躅の低い硬質の影が映り、蜂の羽音だけが、眠っている午後の時の寝息のように聞こえている。『翼』

森鴎外

青い美しい苔が井桁の外を掩(おお)うている。夏の朝である。泉をめぐる木々の梢には、今まで立ち込めていた靄が、まだちぎれちぎれになって残っている。漂う白雲の間を漏れて、木々の梢を今一度漏れて、朝日の光が荒い縞のように泉の畔に差す。『杯』

木立のところどころで、じいじいという声がする。蝉が声を試みるのである。白い雲が散ってしまって、日盛りになったら、山をゆする声になるのであろう。『杯』

一本一本の榛(はん)の木から、起きる蝉の声に、空気の全体が微かにふるえているようである。『カズイスチカ』

山崎豊子

車は海沿いの国道を舞子に向って走っていた。窓の外に五月下旬の陽を煌めかせた碧い海が広がり、明石海峡を隔てた向うに、淡路島が靄に包まれたように淡い島影を見せていた。須磨海岸の砂浜が、眼に染み入るような白さに驚き、その白さを碧く縁取るように穏やかな波が打ち寄せていた。『白い巨塔』

吉田修一

拭っても拭っても顎の先から滴り落ちる汗をそのままに、バスを見つめていた。真上から太陽が照り付けていた。背中に汗染みを作った何人もの男たちが、成り行きを見守っている。『さよなら渓谷』

強い陽射しが、まるで重さを持っているように肩にのしかかってくる。『さよなら渓谷』

真夏の早朝、すでに気温は上がっている。周囲の林の蝉が、また暑くなるだろう一日を、憂えるように鳴く。『さよなら渓谷』

室内では扇風機だけがまわり、ねっとりとした空気を搔きまわしている。『さよなら渓谷』

吉村昭

夏も終わりに近づいた頃、村は激しい風雨にさらされた。午の刻過ぎから生温い風が吹き、空に黒雲が走り始めた。大粒の雨が落ち、やがてそれは襲いかかる波浪のように密度を増した。さらに日没頃から強風がうなり声をあげて吹きつけ、雨が家の板壁や屋根に音を立ててたたきつけてくる。風は山の方向から吹き下ろしてきていて、折れた枝葉が絶え間なく屋根や板壁に音を立てて当たる。『破船』

或る夜、雷鳴がとどろき土砂降りの雨があって、梅雨が明けた。陽光が強くなり、伊作の顔も手足も日焼けした。『破船』

まばゆい陽光にさらされた道は、白っぽくかわき、陽炎が立ちのぼっている。道を往きかう人々はしきりにながれる汗をぬぐい、荷を背にした馬の体毛も汗にぬれていた。『長英逃亡 上』

緑の色が濃くなって陽光も強さを増し、乾されたイカには蠅がむらがった。『破船』

山肌が、緑につつまれるようになった。風が東の方向から渡ってくることが多くなり、強く吹きつける日は稀になった。『破船』

虹の色は徐々に濃くなり、夕空が華やいだ。夕方の虹は好ましい前兆で、殊に初夏の虹はさんまの豊漁を意味する。『破船』

樹々の葉が、真夏の陽光を浴びて濃い緑の色をひろげている。『破船』

江戸大伝馬塩町の家並には、暑熱がよどんでいた。『長英逃亡 上』

太陽は、熱い光をふりまき、草原には陽炎が立っていた。自動車の列からは、セロファンのような透明な炎が立ち昇り、陽炎ときそうように空気をゆらめかせていた。『蚤と爆弾』 

好天の日がつづき、水平線に入道雲がつらなった。空がにわかに暗くなって、激しい雨がひとしきり降ることもあった。『破船』

樹葉の緑は濃く、まばゆい陽光を浴びている。駅にとまるたびにおびただしい蝉の声がきこえた。『光る壁画」

かわいた馬糞が土埃とともに舞いあがった。黒い雲がながれ、あたりが暗くなった。不意に大粒の雨が点々と落ちはじめ、またたく間に密度を増した。雨が家々の屋根や路面に激しいしぶきをあげ、家並は白くけむった。人があわただしく走り、家の軒下に駆けこむ。家々からは、雨戸を荒々しく繰る音もきこえ、犬が道を横切って走った。稲光がひらめき、雷鳴が重々しくとどろいた。『長英逃亡 上』吉村昭

時折り、空がかげると稲光がひらめき、雷鳴がとどろいて激しい雨が落ちる。『長英逃亡 下』吉村昭 

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