読書生活 

本もときどき読みます

上野動物園のパンダを見ると悲しくなる、という話

 うちの子が小さい頃、よく上野動物園に行きました。パンダが好きで。二人でもよく行きましたよ。混んでいて肩車をして見たこともあれば、がらがらで二人でずっと見ていたこともありました。パンダってあまりこちらを見ないんですよね。いつも背中を向けてました。パンダの背中を見ながら、昔の悲しい出来事を思い出して胸が痛くなった、という話です。

わが家に降ってわいた「上野動物園にパンダを見に行こう」という話 

 今から30年前、わたしの父の妹が入院しました。なぜかはわかりませんが、家族全員でお見舞いに行くことになりました。ついでに「上野動物園にパンダを見に行く」ことになり、うかれました。あこがれのパンダを見られる喜びに、少年のテンションはMax!

 そして当日。お見舞いをすませ、おばさんの家がある町に行きました。横浜の六角橋という町です。病院やお見舞いの場面は全く覚えていませんが、六角橋商店街の人込みと明るさは今でもはっきりと覚えています。田舎者なので、本当にまぶしく見えました。わたしがはじめて触れた「生」の都会です。六角橋商店街のお店で夕ご飯を食べ、そのままおばさんの家に泊まりました。

 夜が明けました。いよいよ上野動物園です。パンダです。

帰ってこない父親 

 ところが、みんなの様子がおかしい。どうやら、父親がまだ帰ってきていないようです。酒が大好き、愚痴も好き、嫉妬深くて内弁慶。とにかくどうしようもない父親なのですが、帰ってこないのです。母親は深夜まで待っていたらしいのですが、なかなか帰ってこず、探しに行くにもこのあたりの地理にまったく詳しくない。おじさん(おばさんのだんなさん)と一緒だから大丈夫だろう、と母親は寝たらしいのです。

 ところが、そのおじさんが、早朝一人でひょっこり帰ってきたのです。「わたしの父親とは途中ではぐれた、もう帰ってきているかと思った」とのこと。

 「警察に行く前にもう一度探そう」ということになり、わたし以外のみんなで探したところ、道端で酩酊している父親を発見しました。上野動物園はどうなったの?パンダは見に行けないの?と泣くわたしに、「パンダを見に行こう」と母親が言いました。もちろん父親は動けません。

野毛山動物園のレッサーパンダ 

 どうやって行ったかは覚えていませんが、母親に連れられて三兄弟(末がわたし)は動物園には行きました。「パンダだよ」と言いながら、母親はわたしの知らない動物を指さします。「お母さん、あれはパンダじゃないよ」。

 あれから、上野動物園のパンダを何度見に行ったかわかりません。わたしがあれほど見たかった動物が、ここにいます。感慨深い。そうか、パンダとはきみだったのか。野毛山動物園にはあれから一度も行ったことがありません。六角橋商店街にもです。今も栄えているのでしょうか。

珍獣はパンダではなくレッサーパンダ 

 立ち読みしたパンク町田さんという方が書いた『子供に言えない動物のヤバい話』によると、もともとパンダとは、ジャイアントパンダではなくレッサーパンダのことだったのだそうです。突然発見されたジャイアントパンダを中国では「ワケのわからない動物」として持て余していたとのこと。

 ワケのわからない動物と見られていましたが、やがて世界中の人気者になりました。中国はその価値に気付き、パンダを外交手段として利用するようになりました。どうやらパンダは神獣のバク(わたし、この話よく知らないのですが)の代役として、中国は売り出したようです。

ジャイアントパンダを食べている中国人がいるらしい 

 ところが、中国では、このジャイアントパンダが密猟や密輸されていて、ひそかにその肉が食卓にあがることもあるといいます。

 一部の中国人は珍しいものを食べることがステータスだと思っているフシがあります。昔の人が不老不死になれると考えて人魚の肉を求めたというほど大げさな話ではなくても、珍獣の肉には薬効があると信じているのだろうと思われます。

 最近も野生のパンダを銃で殺して、その肉を売買していた人たちが捕まる事件がありました。主犯格の男には懲役十三年という刑が言い渡されています。

 そのときのパンダの肉の価格は、日本円にして8万円ほどだったとのこと。安い!今の日本の動物園にいるパンダは中国からのレンタルだそうです。そのレンタル料は約10億円ですって。食べないにしても、生きたまま売ればよかったのに。