本を読んでいると、「あれ、これどこかで読んだことあるな」と思うことがよくあります。記憶をたどりつつ本棚をあさると、それは大抵同じ作家の場合が多いです。まれに、同じことを別の作家さんが書いていることがあります。そういうとき、井戸を掘っていたら鉱脈を発見したような、そんな嬉しい気持ちになります。作家さん同士は、同じ物事を見てお互いがどのように考えていたのかご存じだったのでしょうか。後年を生きるわたしたちは、本を通して作家さんの思考を俯瞰することができます。
司馬遼太郎と三島由紀夫が、1960年代の学生運動について語っています。お互いの捉え方を比較すると、とてもおもしろいです。
まずは、司馬さんです。司馬遼太郎(「司馬遼太郎の考えたこと 3」)
こんにち、この経済繁栄下で若者たちが鬱屈し、体制に叛意をいだき、プラカードをたたき割ってその棒をもって警官にたちむかっているが、それは所詮体制内で保護された一種の模擬戦で、たとえつかまろうとも殺されるということはない。羽田の学生たちが逃げ回っているのは学生たることの身分を失うかもしれぬというその程度の恐怖なり配慮なり知恵なりによるものであり、三条小橋西詰の池田屋に斬り込まれたあの時代の若者たちとくらべるのは無理であり、こっけいであろう。あの時代の若者にとってはそのときが死であった。斬りこんだ体制側の志士たちも死を覚悟しており、事実その場でおびただしい死者が出た。現場をのがれたある者は深手のために逃げきれぬとみると路上で切腹して自分で始末をつけた。
厳しい。甘いということです。卒業すれば普通のサラリーマンになるのだろう、明治維新の彼らと一緒にするのはどうだろう、と。
次は三島さんです。三島由紀夫(「若きサムライのために」)
こん棒をふりまわしても破防法はなかなか適用されず、一日、二日の勾留で問題は片付いてしまう。しかもおまわりさんは機動隊の猛者といえども、まさかピストルをもって撃ってくる心配はないので、幾らこちらが勇気をふるって相手をやっつけても、強い相手が強い力を出さないで、あしらって一緒に遊んでくれるのである。幼稚園と保母のような関係がそこにはあるといえよう。
司馬さん、三島さん、ともに厳しいです。
同じものを見て、お二人とも若者の甘さを見て笑っていますが、司馬さんは、こういった若者の行動に寛容となった日本社会を微笑ましく見る、日本社会の成熟化をむしろ喜んでいるようです。
三島さんは、個人の意思、精神に矛先を向けます。おまえたちのやっていることは口先だけでちゃんちゃらおかしい、男を見せろ!死ぬと言ったら死ね!という熱さを感じます。
当時の学生運動をそのように思うのであれば、今のデモ活動などを見たらこのお二方はどのように感じるのでしょうか。いまだゴールは遠い、といったところではありますが、国の大きな転換期に来ていることだけは間違いありません。
日本は今、民主主義の成熟度が試されています。野党不信から自民党に寄りかかるようになり、腐敗の許容につながってはいないでしょうか。復古的な歴史観を容認する問題とも連動しているように見えます。三島さんも司馬さんもすでに他界なさっているので、お考えをお伺いすることはできません。しかし、このお二人とも、太平洋戦争に至るまでの国家を激しく嫌っていたことは確かです。