読書生活 

本もときどき読みます

離婚が増えている。

 離婚が増えている。あるデータによると、日本の夫婦の3組に1組は離婚しているらしい。わたしも離婚予備軍で、先の1組にいつ入ってもおかしくない。

 たいていのことに対しては「聞いているフリ」や「右から左へ受け流す」態度で臨んでいるが、離婚ネタに対しては真正面から向き合っている。備えあれば憂いなしだ。週刊誌やワイドショー、新書(長細いやつ)や社会学的な立場からモノ申しているハードカバー(重いけど立ち読みです)まで、自分のこととして頭に叩き込んでいる。

 今回は、夫婦が離婚に至るのは、そこまでの過程をわたしたちが具体的に想像した結果なのである、という当たり前の話です。

 ロシアの天才心理学者、ヴィゴツキーはこう言っている。出典は忘れた。

コップを持っている子どもに、コップを割らせたかったらこう声をかければいい。「コップを割らないように気をつけろ」とね。

 コップを割ると意識すると割る。思考が行動に出るのだ。こんな話もある。プロドライバーは、高速でコーナーに入る直前にコーナーをきれいに抜けたときの体感をありありと予感できるときには抜けられる。しかし、リアタイヤがずるずると滑ったら…というような想像をすると、実際にリアが滑り出して恐ろしい思いをするらしい。

 離婚するということは、その離婚シナリオをどちらかが(もしくはお互いが)何十年にわたって培ってきたからに他ならない。その細部に至るまで想像できるような未来は、そうでない未来より明らかに実現される可能性が高い。

 人間はリアルタイムで動いているわけではない。ちょうどリールが釣り糸を巻くように、未来が現在を巻き取るような仕方で動いているのだ。わたしたちは、輪郭の鮮明な未来像をいわば青写真に見立てて、その下絵のとおりに時間をトレースしていく。だから、ネガティブな未来像を繰り返し想像する習慣のある人は、その想像の実現に向かってまっすぐ突き進んでいくことになる。

 ヴィゴツキーはこうも言っていた。

橋の欄干は安全対策のために設置されているが、それは物理的な意味ではない。実際に橋の欄干があったおかげで助かった人はいない。「欄干があるから安全だ」とそこを通る人に思わせるためだ。

 徒歩でも乗り物でも、落下を心配しながら橋を渡る人はいない。しかし、よーく想像してほしい。その橋に欄干がなかったら、たとえ橋の中央を歩いていたとしても恐怖するのではなかろうか。橋の欄干は、精神的な安全を通行人に与えているのであって、物理的なそれのためではない。橋の欄干が物理的に機能するのは、携帯電話で会話しながら寄りかかるときぐらいだ。

 わたしの頭には片隅にいつも「離婚」がある。なので、そういう人間だから離婚する。

 うちは大丈夫と思っている人だって、明日相手から離婚を切り出されるかもしれない。「文句ひとつ言わず黙って付き合ってきた私から、いきなり離婚を切り出されたら、この人はどんな顔をして仰天するだろう」という妄想をパートナーが持っていてもおかしくない。気をつけろ。 

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