読書生活 

本もときどき読みます

置かれた場所で咲けない花

置かれた場所で咲きなさい 

 置かれた場所で咲きなさい、とは2012年のベストセラーになった本のタイトルだ。今日は、この本を否定的に書く。あくまで個人の感想であり(個人ブログなので当たり前だが)、この本に感銘を受けた人やこの本に救われた人がいたとするならそれはそれでハッピーなことである。ただ、わたしは救われなかったどころかますます辛くなり病んだというだけのこと。不愉快になりそうな方は読まないでほしい。この本にアンチな方は共感しながら読んでもらえると思う。不愉快になりそうな方は読まないで、と言っているのに読んで不愉快になった方は、ブクマにコメントを寄せてくれるとありがたい。

 この本が売れていた2012年。人間はどんな境遇でも生きていける、という甘いコピーが日本中を席巻した。当時、職場の仕事や人間関係、はたまた私生活にも、とにかくすべてに問題を抱え病みはじめていたわたしは、わらをもすがる気持ちでこの本を手にし読んだ。驚くほど薄くやさしい文体で書かれた本なのに、価格は1000円以上とちっとも甘くもやさしくもなかった。文庫以外ほとんど買わないわたしが買ったのだから、当時のわたしの病みようがわかる。

 内容をざっくり言うと、色々あって自信喪失した著者が一人の宣教師に「置かれた場所で咲きなさい」という詩を渡されたことで、自分自身が変わりうまくいった、という自身の経験から神に仕える身としての正論をやさしい言葉で説いていく、というもの。

 私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方次第で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。――どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

そして、こう続ける。 

失ったものを嘆いても前には進めない。悩みを抱えている自分も大切に。悩みを抱えている自分をいとおしもう。

さらに、

何もできなくてもいい、ただ笑顔でいよう。

最後に、

順風満帆な人生などない。

と締めくくる。

 読んだ結果、わたしは、自分の職場で咲ける方法を懸命に考え試行錯誤し、それでもうまくいかなくなり、悶々とし、夜な夜なうなされた。「私が変わることによってのみ可能」とあの本には書いてあった。変わらねば変わらねば、と、躍起になっていた。

 この本は宗教色がとても強く、「神は乗り越えられない試練は与えない」という、まさに病んでいる人間に対する呪い、呪詛を自ら受け入れることで、その試練を乗り越えられるものととらえているように感じる。止まない雨はない、と言うが、追い込まれている人間は、その雨にもう一滴も耐えられない、ということが分かっていないらしい。「何もできなくてもいい、ただ笑顔でいよう」などという言葉で救われるなら、日本の自殺者はもっと減る。2019年に何人が自殺してるかご存じないのだろう。2万人が自殺してるんだぞ。1日で約55人もの人間が命を落としているのだ。

自殺者数|警察庁Webサイト

 このサイトを見ると、まさに日本社会の闇が見えてくる。中高年だけでなく、10代から80代まで幅広い年齢の人間が満遍なく偏りなく自ら命を絶っている。

 この本ではわたしは救われなかった。

置かれた場所で咲けない花 

 みなさんは、マイクタイソンをご存じだろうか。泣く子も黙る史上最強ボクサー。キングオブボクシング。マイケルジョーダンと並ぶわたしの中の2大レジェンドだ。

 ブルックリンで生まれ育ったタイソンは、暴力に囲まれて育ち、12歳までに51回も逮捕された。少年院で更生プログラムの一環として出会ったボクシングが、稀代のヘビー級王者を生んだ。そのタイソンの言葉に、こういうものがある。

僕は運に恵まれた。殺人者ではなく格闘家になれたのだから。

タイソンは、そのまま育てば間違いなく殺人者だったのだが、ボクシングの才能をカスダマトに見いだされ、その世界にいざなわれる。「チャンピオンになれたら、スタローン(当時公開されて人気を博していた映画「ロッキー」の主役。ご存知ですね)に会わせてくれるか」と、15歳のタイソンに聞かれたカスダマトが「お前が会いに行くんじゃない。スタローンがお前に会いにくるのさ」と言ったのは有名な話。この後、彼は連勝街道まっしぐらで世界チャンピオンになる。

 タイソンは置かれた場所で咲いたんじゃない。自分の花を咲かせられる場所に行ったんだ。カスダマトに、リングという自分が咲ける場所へ連れて行ってもらった。ここから得られる教訓は、置かれた場所で咲くんじゃなくて、自分が咲ける場所に行け、ということだ。

 タイソンは才能があるからだ、才能のない人間はどうしたらいいのだ、俺にはカスダマトがいない、そういう声が聞こえてきそうである。まことに同感。 

 というのも、わたし自身、常日頃から「俺はずっとこんなところにいたいわけじゃない。俺のやりたいこと、俺の才能が発揮できる場所はこんなところじゃない。いつかここを飛び出して、ここよりもっとほかの場所で、何かを見つけたい。具体的なことは、まぁいまいちはっきりしてないけど、とにかく何かだ、あるはずだ」と何度も自分に言い聞かせてきたような人間なのだから。

置かれた場所で咲けない人間は結局どうしたらいいのか 

  置かれた場所で咲けない人間はどうしたらいいのか。

咲ける場所に行く  

 タイソンのように、生きろということだ。あなたに才能があるなら、それを生かす場所に即刻行くべきだ。

 才能なんて分からない。でも、あなたとその環境がマッチせず、死ぬほど苦しむなら、今すぐ離脱しよう。金銭面で折り合いがつけば転職しよう。1度しかない人生、つまらないことに費やすほど、人生は長くない。

 才能もない、転職もできない、そういう人は、今の職場を仮の保険と考えて、夢に毎日数分でも費やそう。今、わたしにはかすかな夢がある。プライベートにおいても仕事においても。そのささやかな夢に向かって日々時間を取っている。人生まだまだ何十年もある。あきらめるのはちょっと早い。わたしには諦められない夢があるのだ。今の職場は保険にすぎない。そう考えると、少しは楽にならないか?保険ととらえて自分が少しでも咲けそうな場所(希望、とも夢とも言い換えてもいい)を見つけたならばそれに向かって進む。ダメでもともと。経験的に言えることは、夢に一歩でも進んでいる瞬間、何もかも忘れられる。現実逃避じゃないか、と思ってくれてもかまわない。そもそも現実逃避の何がいけないのだ。

休む 

(休む補償を行政がしっかり行い)何もせず休む。休む間に変われというわけじゃない。休んでいる間にデトックスする。余計なものがへばりついて動けなくなっているのだ。それが自然と落ちるのを待つ。能動ではなく受動。落ちない限り休み続けた方がいい。人間はしょせん変われない。自分の大きさを知り、それに見合った対処法を考えるのみ。先の本でさんざん言っているのが、ある出会いでわたしは変わった、というものだ。違う。変革しようとするのではない。悩みから脱却する=変わるの図式は成り立たない。あなたはあなたのままでいい。あれは本当だ。

 

 わたしは、この文章をある特定の人を念頭に書いている。あなたに賛同している人間は必ずいる。たくさんの批判があなたの耳に届いていたかもしれない。ただ、あなたの支持者はその何倍もいた。この世はうるさい小数の批判者と多数の無口な支持者でできている。批判者はうるさいから目立つが、そうではないのだ。わたしは、あなたが多くの悩みをもち苦しんでいることを知っている。ゆっくり休んでほしい。ふくろうは、あなたを守ってくれるはず。わたしは待つ。一緒にまた働ける日を。キリンのように首を長くして。

 

 先程、「置かれた場所で咲きなさい」の著者、渡辺和子さんがお亡くなりになられたというニュースが流れた。謹んでお悔やみ申し上げます。