わたしは、自殺を一度も考えたことのない人間をむしろ異常だと思います。生きている間には、すべてを放棄したいような苦しみに突き当たることがあるし、いっそ自殺しようと考えることもあるはずです。
そのような苦悩は、誰もがもっているものです。生きているということは、それだけでつらいこと。お釈迦様は、生老病死(しょうろうびょうし、と読むらしい)を、人間の4つの苦しみだと言ったとか言わないとか。2千年以上前に「生きるのは辛いこと」と語ったお釈迦様はたいしたものだと思います。何千年も前の人も、生きること自体に苦しみを感じていた、この事実は重いと思うのです。
自殺するのは弱いからとか、そういう声がいつも聞こえます。本当にそうかなあ。
強いとか弱いとか、勝ちとか負けとか考えられなくなるくらいに追い込まれて死を選択するのであって、死者に対しては、邪推はよしてただ手を合わせるのみです。
ドイツの作家、ゲーテがこんなことを言ってます。
「涙と共にパンを食べたことのない者には、人生の本当の味はわからない。ベッドの上で泣き明かしたことのない者には、人生の本当の安らぎはわからない。絶望することができない者は、生きるに値しない。」
わたしはよく読書をするのですが、ああ、こんなに悩んでいるのは自分だけではないんだ、昔から世界中で同じように苦しんでいる人がいるんだ、ということを実感すると、心底安心します。歴史のふるいを潜り抜けた文学というものの価値は、そのあたりにあると感じています。このゲーテの言葉も刺さったなあ。わたしの枕は涙で濡れまくっていますから。
死と生の境はそれほど高くも広くもない。人によっては、駐車場にあるコンクリートでできた車止めくらい低い人もいる。越えたかどうかもわからないくらい低いハードルですから、無意識に越えてしまう人がいてもなんら不思議はありません。わたしだってそういう時期がありました。
完全に乗り越えたわけではないけれど、今は死ねません。妻の体調が早くよくなるように彼女を支えることが、今のわたしの生きがいです。人はひとりでは生きられない、この人なしでは生きられない、そう思える人がいることが、今のわたしのしあわせです。妻より先にわたしは死なない。そう思わせてくれる彼女に感謝です。
合掌。