本棚を整頓することに
先日、本棚の整頓をしました。高さもあって、福のよい遊び場となっていたのですが、この前の連休の夜、すごい音を立てて本が雪崩を起こしました。ドドドドドって。福は間一髪で難を逃れたのですが、何かあってはまずい、と、重い腰をあげました。
わが家には「本棚から本があふれたらブックオフに回す」というルールがあります。よくある整頓術の一つですね。結婚2年目に家人から提案されました。
ブックオフはタダ同然の値段で(というか値段つかずってありますからね)本を取っていくでしょ。それが嫌で。でも、ごみに出すのはもっと嫌で。となると、本は増えるから本棚から本は絶対にあふれます。しばらくは、本棚を買い足していく、という最初の提案の根本を揺るがす作戦をとっていて、それを家人も見て見ないふりをしてくれていたのですが、子どもが生まれ、家もでき、本や本棚に使える面積が限定されるにつれ、本棚を増やすことができなくなりました。
これ以上本棚を増やせないので、本棚から本があふれないように本を二重三重と前方に重ねていきました。そのため、奥に何が入っているのかわからない状態になっていました。少しでも詰め込むために「本を横にしてつっこむ」という整頓さんが見たら腰を抜かしそうな収納法をしていました。もうごちゃごちゃ。
こんな感じです。
この、本の上部を福が踏みつけて雪崩が発生したわけです。
詰め込み放題ですから、読もうと思った時に読みたい本が見つからず新しく買うこともよくあります。読み終わってから出てくるんですよね。あれ、何ででしょう。みなさんもそういう経験ありませんか?もう、よくわからなくなって、どんどん本を詰め込んでいく。何がどこにあるかなんてわかりませんよ。もうだれも。
この「前列に本を重ねる」という整頓の仕方が雪崩を発生させた原因です。そこで、「本は前方に重ねない」というルールが家人から出されましたが、そうすると、本棚の半分以上をブックオフに送らなければならなくなります。それはまずい。
本も全然大切にしない。折り目とかたくさんつけますし、カバーが取れた本もたくさんあります。でも、捨てたくない。
考えた結果、「本は前方に2段まで、横に寝かせるのではなくしっかり縦に立てて収納する」ということにしました。奥に大きな本、手前に文庫本を置く。そうすれば、奥に入っている本も目を凝らせば見える。いざ整頓開始です。
こうなりました。
いつまでこの美しい状態が保たれるのか、あやしいものです。奥にドーンとある漱石全集は、わたしのものではありません。家人が結婚するとき持ってきたんです。彼女がこの全集をひらいているところを見たことありません。今、全集が文庫で売ってるようなので買い直したらいいと思うのですが、とてもそんなこと提案できません。「あんたの本を捨てなさいよ」と言われそうだからです。
わたしはすごく美しいと思っているのに、家人は「整頓ってこれで終わりなの?」とぶつぶつ言います。気持ちはわかる。みなさん、これを見てくれい。
司馬遼太郎の本はここ、吉村昭はここって小説家ごとに分ければ十分だとわたしは思っているのですが、家人にすると、竜馬がゆくとか太閤記とか1巻からぴしっと並べろと言うのです。もういいよお。疲れたよ。どうせ、同じ本が何冊もあるんだから。どうせ、すぐごっちゃになるんだから。
と言うことで、今回の整頓はここまでです。
本を読んでいないわけではなくて
ここのところ書評的な記事を書いていません。読んでいるのですが、おもしろくなかった本のことは書きたくないのです。その本をおもしろいと思っている方ももちろんいるわけですから、そういう人からしてみたら気分はよろしくないでしょう。ブログだから別に何を書いてもいいのだ、と言う人もいると思うのですが、つまらなかった本の感想書いても、ねえ。
でも、ブログの上部に掲げられている題「読書生活」の下に「本や新聞を読んでいます」などと、知識人ぶった一言を添えていたことに最近気づき、「本もときどき読みます」と書き直しました。
ツイッターを始めて、世の中、上には上がいることを知りました。1日1冊くらいの凄まじいペースで読了ツイートをあげている方や、打ち上げ花火も読むしピンチョンも読むという、とんでもなく守備範囲が広い方もいて。特にそれといった意味なく「読書生活」という題をつけたのですが、今さら「ちょっと盛りすぎたか」と思う今日この頃です。