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「僕は聞いてない」とキレるサイコな若手

 このコロナ禍で、僕の職場でも研修をオンラインやzoomで行う機会が増えてきた。人に会うことは苦手なので個人的には大賛成なのだが、僕はあまりそっち方面が得意ではなく、先日は研修資料も動画も見ずに事後アンケートに答えて送信したことがバレて怒られた。同僚も負けず劣らずのIT音痴ぞろいで、時間を忘れて参加しなかったり、パスワードが分からず会議自体に参加できなかったりと、多少の(かなりの?)混乱をきたしている。

 とにかく、このオンラインの波が多くの部署で混乱を招いていることを知った本社から、各部署でITスキル研修を行うようにとの指令がきた。研修内容は、zoom会議に参加する技術だけでなく、zoom会議を主催する技術を皆に身に付けさせることである。具体的に言うと、zoomのホストになり、資料を配布したり画像や動画を見せたりといった研修の主催者になる技術を身に付けさせることだ。今さらそんな低レベルなことを、と思う方もいるだろう。事実なのだから仕方ない。

 その研修担当に指名されたのが、うちの職場のIT担当のTだ。彼は職場のタブレット使用率が地区内最下位であることを担当者会議で指摘された際に、うちの同僚がいかに無知かを熱く語り、周囲のひんしゅくをかったらしい。そういう情報はネットより早く僕たちの耳に届く。

 嫌いとか好きとかそういうレベルで同僚を僕は見てないが、彼のことは苦手だ。彼は、ワークマンかしまむらがユニフォームの我が社の中で、アパレル関係にお勤めかと思われるような人目を引くスーツを毎日着こなしている。さらに、給料に見合わない高級時計にブランドのシャツ、ほんのり甘い香水の匂い、全ては女にモテるため、女遊びに全てを捧げたチャラ戦士なのだ。

 彼は、担当者会議の翌日から、職場のタブレット使用率の数字を上げるため、タブレット利用の効果や明日にも使える簡単なスキルをペーパー1枚にまとめ、週に1度のペースで皆に配布している。今時ペーパーって笑、と思った方もいるだろう。彼は、みんなに見てほしい一心から、あえてのペーパー配布という方法をとったのだ。しかし、そのペーパーの中身は、彼の性格がよく出た、細かくねちっこくそれでいて非常に慇懃な書きっぷりで、それが鼻につき内容が全く入ってこない。彼が腹の中で僕らを馬鹿にしていることを知っているので、みんなそれを見る気がしない。彼のペーパーはファイルされることなく、リサイクルボックスにまわされていることを僕は知っている。当然、職場のタブレット利用率はちっとも上がらない。

 話を元に戻す。彼はこの研修を行うにあたり、「2日に分けて1回1時間ほしい」「1週間前にはこの研修のことを皆に周知してほしい」と部長に言った。猫並みの集中力とサル並みの偏差値を持ち合わせている僕たちを念頭においてのこと、彼の気持ちはよくわかる。僕は部長の指示を受け、彼の要望通りに研修時間を設定し、みんなに周知した。

 ところが、このコロナ禍で本社からは次々と違う案件の日程が組まれる。○月○日にカウンセラーを派遣するから時間を取っておけ、○月○日にお偉方が視察に行くからそのつもりでいろ、といった感じである。当然、これらの日程は上からの指定なのでよほどのことがない限り変更は許されない。彼が心血を注いでいるIT研修は職場内研修なので、前述の研修より下位に位置付けられる。重なった場合、そちらが当然変更される。

 日程が変更になった場合は、職場内のネットワークで共有される。早速その研修日時変更をネットワークに書き込んだ。すると、Tが怒っているという。「僕は聞いてない」と。「決定する前に、自分に一言あるべきだ」とのこと。伝え聞いた話なので、「自分に一言あったら嬉しかったな」というレベルかもしれない。いや、違うな。そんな子じゃない。

 彼が心血を注いだ研修は無事終了した。サル並みの僕にも分かる内容だったので、研修終了後に僕の少ない語彙を尽くして彼を褒め称えた。世界戦で勝ったボクサーだってあんなに褒めてもらえないだろう、というほどに。

 彼は「そんなに褒めてくれるなら、給料あげてくださいよ」と黒目を開いて言った。サイコなオーラをまといつつある。ごめんなさい。僕にそんな力はない。ちなみに部長は彼に「カリカリくん」「マニュアルくん」と悪意しか感じないあだ名をつけている。そして、「わたしがここにいる間は、彼を絶対引き上げない」と言っていることを、僕は彼に伝えていない。彼の給料は年功序列で少しずつ上がるだろうが、彼の昇進はずいぶん先になりそうだ。